木曽馬 繁殖の危機…戦後、種馬たった1頭からスタート(毎日新聞)

 2〜3世紀に朝鮮半島を南下したモンゴルの草原馬が起源とされる在来馬「木曽馬」が、繁殖の危機を迎えている。体が小さいため戦時中に「役立たず」と排除され、終戦直後に残った種馬はたった1頭。長野県木曽町などの努力で約150頭まで増えたが、同じ雄の遺伝子による近親交配が限界に近づく。危機感を抱いた町は「モンゴル種との交配で保存を」と現地調査に乗り出したが、省庁の縦割りや外国からの生物輸入制限など、保存には高い壁が立ちはだかっている。【渡辺諒】

 ◇モンゴル馬と交配…実現に壁

 同町の保存会などによると、木曽馬は明治時代のピーク時には約7000頭が木曽地方にいたが、温厚で小柄なため軍部から「軍馬に不適格」と烙印(らくいん)を押された。さらに1939(昭和14)年の種馬統制法で繁殖が禁止され、雄は次々に去勢された。

 終戦時、旧更埴市の神社が神馬としてかくまっていた唯一の雄「神明号」が見つかり、その子供「第三春山(はるやま)号」から戦後の繁殖が広がった。76年には約30頭まで減少して絶滅の危機に瀕(ひん)したが、保存会の活動などで現在は150〜160頭まで回復。第三春山号の遺伝子の影響から体は茶色、たてがみとしっぽが黒の「鹿毛(かげ)」が多い。

 だが近年、体が小さかったり、同じ病気になったりすることによる絶滅の危険など、濃い近親交配の弊害が指摘されてきた。町は「1000年以上も地域の人々と暮らしてきた木曽の象徴を守りたい」(田中勝已町長)と、今年度からの5カ年でモンゴル馬と交配させる計画を立てた。町公社運営の「木曽馬の里」の中川剛・飼育調教統括が11月に現地調査。「モンゴル馬は体のバランスや特徴が似ている。気質は木曽馬より荒い」と話す。

 しかし、馬の持ち出しには両国間の調整や検疫などをクリアする必要があり、町だけでは解決できない。家畜を所管する農林水産省は「国家間の調整は困難」と消極的で、担当職員は「たとえ木曽馬が絶滅しても、保険として(同省の)ジーンバンクで遺伝子源を保存している」と突き放し、環境省は「野生動物でないので管轄外」としている。

 ◇木曽馬

 道産子やトカラ馬などとともに日本在来馬8種の一つ。戦国・江戸時代は武士の乗馬用として、また農耕馬などとして人々を助けた。長野県木曽地方は約1500年の飼育歴があり、県の天然記念物。体高約130センチと小さく、温厚な気質で、女性や子供も扱いやすい。粗食に耐え、短い脚で急峻(きゅうしゅん)な地形を上手に移動する。

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